これから展開されるであろう、南越戦線為のAsukal 陛下の南越視察の第一歩である。
陛下 Asukalが1990年代初頭、初めてこの地に降り立ってからすでに十数年が過ぎようとしている。
初めて来た時、その空港はとても国際空港とは言い難いものであった。
空港を降り立てば、当時はバラックの倉庫のような小さな建物に放り込まれ、
預けた荷物をひたすら待つのだった。もちろんエアコンはなかった。
荷物を取ったらば、また長蛇の列に並びイミグレーションの順番を待つ、
エアコンの無いトタン屋根のイミグレの建物、外の灼熱の太陽に焼けた建物、
汗だくで1時間を越えるイミグレの順番待ちであった。
もちろん順番が回ってきたら、共産国j独特の、我々に恐怖さえ与える制服を着た、表情の無い
入国審査官にお土産を挟んだパスポートを渡す。
お土産が無いとイミグレが終わった後の税関が、お土産の無い罰、或いはお土産をもらえなかった審査官 同志の
敵討ちとして強制的にお土産を取ろうとしたものだ。
↑昨年来た時にも出来て無かったような?できてたかな?当時の面影も無いモダンな現在の空港である。
また当時は離陸しようと滑走路へ出てからいきなり管制塔の指示で滑走路からはずされ、MIG戦闘機の着陸待ちも
度々経験させられた、3機のMIGが着陸を終了するのに30分から一時間は飛行機の中で缶詰にされたのだ。
でもMIGが着陸—パラシュートと逆噴射の姿は中々見れるものでは無かったので結構うれしかったりした。
おっと、陛下の思い出話は置いといて。。
今回なんと陛下Asukalを出迎えていたものは????
そう、Asukal陛下の来越を歓迎する 日章旗とLone Starのワンショットである!
おお!そこまでしてくれなくても良かったのに越国 人民達よ!
(ホントはAsukal陛下の為では無いと思うが・・・・)
と言う事で本日はベトナム人民を代表する暗黒同志KIM氏に出迎えられホテルへ直行であった。
彼がAsukaly 陛下の為に準備していたホテルは・・・・・なんと陛下にふさわしく
Majestic Hotelであった!
ああ、懐かしい、最初のころに越南訪問の際にいつも使っていたホテルだったのだ!
これも当時の話であるが、当時はこのホテル、エレベーターも無く、
バゲッジは人民が担いで部屋まで上げてくれたのだ。
さらにホテルのいたる所、通路、部屋、トイレ、レストランの壁や天井に張り付いたおびただしい数の
ヤモリが当時のYoung Asukalを迎え撃ったのだが今回は一匹も見ないのだ!
寝ていると天井から自爆攻撃で若きAsukal陛下を直撃して何度もたたき起こしてくれたかわいいヤモリ君たち!
どこへ行ってしまったのだ!ボテケー・カムバックゥ~!
その後はOmini Saigon (HKのOminiのマネージャーに頼まれて泊まったが開店間も無かったので従業員が非常に役立たずでキレまくりで
最後にはOZ Guyの支配人が出てきて、お茶とケーキをご馳走してくれケーキで許してしまったが)、
或いは当時は半月から40日ほどの長期滞在が多かった為、経費を節約する為、或いは言葉が通じるので
殆どチョロン (中華街)のホテルであった。
そう、十年ぶりのMajestic Hotelだったのだ!その変貌振りに感無量?のAsukaly陛下であった!
と言う事で思い出話が尽きないが、明日からは人民の共に戦いの作戦会議なので眠りにつく陛下であった!
ヤモリ~~さみしいぞ!一人にしないでくれぇ~~!
Asukal